日文小说《蒲団》田山花袋.doc
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- 蒲団 日文 小说 山花
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《蒲団》田山花袋 小石川(こいしかわ)の切支丹坂(きりしたんざか)から極楽水(ごくらくすい)に出る道のだらだら坂(さか)を下りようとして渠(かれ)は考えた。「これで自分と彼女との関係は一段落(だんらく)を告(つ)げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。けれど……けれど……本当にこれが事実だろうか。あれだけの愛情を自身(じしん)に注(そそ)いだのは単(たん)に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」 数多い感情ずくめの手紙――二人の関係はどうしても尋常(じんじょう)ではなかった。妻があり、子があり、世間(せけん)があり、師弟(してい)の関係があればこそ敢(あえ)て烈(はげ)しい恋に落ちなかったが、語(かた)り合(あ)う胸(むね)の轟(とどろき)、相見る眼(め)の光、その底(そこ)には確かに凄(すさま)じい暴風(ぼうふう)が潜(ひそ)んでいたのである。機会に遭遇(でっくわ)しさえすれば、その底(そこ)の底(そこ)の暴風(ぼうふう)は忽(たちま)ち勢を得て、妻子(さいし)も世間(せけん)も道徳(どうとく)も師弟(してい)の関係も一挙(いっきょ)にして破(やぶ)れて了(しま)うであろうと思われた。少(しょう)くとも男はそう信じていた。それであるのに、二三日来(らい)のこの出来事(できごと)、これから考えると、女は確かにその感情(かんじょう)を偽(いつわ)り売ったのだ。自分を欺(あざむ)いたのだと男は幾度(いくど)も思った。けれど文学者(ぶんがくしゃ)だけに、この男は自(みずか)ら自分の心理(しんり)を客観(きゃくかん)するだけの余裕(よゆう)を有(も)っていた。年若(としわか)い女の心理は容易(ようい)に判断(はんだん)し得(え)られるものではない、かの温(あたたか)い嬉(うれ)しい愛情は、単に女性特有(とくゆう)の自然の発展(はってん)で、美しく見えた眼(め)の表情(ひょうじょう)も、やさしく感(かん)じられた態度も都(すべ)て無意識(むいしき)で、無意味で、自然の花が見る人に一種(いっしゅ)の慰藉(なぐさみ)を与(あた)えたようなものかも知れない。一歩(いっぽ)を譲(ゆず)って女は自分を愛して恋していたとしても、自分は師、かの女は門弟(もんてい)、自分は妻あり子ある身(み)、かの女は妙齢(みょうれい)の美しい花、そこに互(たがい)に意識の加(くわ)わるのを如何(いかん)ともすることは出来(でき)まい。いや、更(さら)に一歩(いっぽ)を進めて、あの熱烈(ねつれつ)なる一封の手紙、陰(かげ)に陽(よう)にその胸(むね)の悶(もだえ)を訴(うった)えて、丁度(ちょうど)自然の力(ちから)がこの身(み)を圧迫(あっぱく)するかのように、最後の情(じょう)を伝えて来た時、その謎(なぞ)をこの身(み)が解(と)いて遣(や)らなかった。女性のつつましやかな性(さが)として、その上に猶(なお)露(あら)わに迫って来ることがどうして出来よう。そういう心理からかの女は失望(しつぼう)して、今回のような事を起したのかも知れぬ。 「とにかく時機(じき)は過(す)ぎ去(さ)った。かの女は既(すで)に他人(ひと)の所有(しょゆう)だ!」 歩きながら渠(かれ)はこう絶叫(ぜっきよう)して頭髪(とうはつ)をむしった。 縞(しま)セルの背広(せびろ)に、麦稈帽(むぎわらぼう)、藤蔓(ふじづる)の杖(つえ)をついて、やや前のめりにだらだらと坂(さか)を下(お)りて行く。時は九月の中旬(ちゅうじゅん)、残暑(ざんしょ)はまだ堪(た)え難(かた)く暑いが、空には既(すで)に清涼(せいりょう)の秋気が充(み)ち渡(わた)って、深(ふか)い碧(みどり)の色が際立(きわだ)って人の感情を動(うご)かした。肴屋(さかなや)、酒屋(さかや)、雑貨店、その向(むこ)うに寺(てら)の門(もん)やら裏店(うらだな)の長屋(ながや)やらが連(つらな)って、久堅町(ひさかたまち)の低(ひく)い地(ち)には数多(あまた)の工場の煙筒(えんとつ)が黒い煙(けむり)を漲(みなぎ)らしていた。 その数多い工場の一つ、西洋風(せいようふう)の二階の一室(いっしつ)、それが渠(かれ)の毎日正午(ひる)から通(かよ)う処(ところ)で、十畳(じゅうじょう)敷(しき)ほどの広さの室(へや)で中央(ちゅうおう)には、大きい一脚(いちあし)の卓(テーブル)が据(す)えてあって、傍(そば)に高い西洋風の本箱(ほんばこ)、この中には総(すべ)て種々(しゅじゅ)の地理(ちり)書が一杯(いっぱい)入れられてある。渠(かれ)はある書籍(しょせき)会社(がいしゃ)の嘱託(しょくたく)を受けて地理書の編輯(へんしゅう)の手伝に従(したが)っているのである。文学者(ぶんがくしゃ)に地理書の編集(へんしゅう)!渠(かれ)は自分が地理の趣味を有(あ)っているからと称(しょう)して進んでこれに従事(じゅうじ)しているが、内心(ないしん)これに甘(あまん)じておらぬことは言うまでもない。後(おく)れ勝(しょう)なる文学上(ぶんがくじょう)の閲歴(えつれき)、断篇(だんへん)のみを作って未(いま)だに全力の試(こころ)みをする機会に遭遇(そうぐう)せぬ 煩悶(はんもん)、青年(せいねん)雑誌から月毎に受ける罵評(ばひょう)の苦痛(くつう)、渠(かれ)自(みずか)らはその他日(たじつ)成(な)すあるべきを意識してはいるものの、中心これを苦(く)に病(や)まぬ訳(わけ)には行かなかった。社会は日増(ひまし)に進歩(しんぽ)する。電車は東京市の交通(こうつう)を一変(いっぺん)させた。女学生(じょがくせい)は勢力(せいりょく)になって、もう自分が恋をした頃のような旧式(きゅうしき)の娘は見たくも見られなくなった。青年(せいねん)はまた青年で、恋を説くにも、文学を談(だん)ずるにも、政治(せいじ)を語(かた)るにも、その態度が総(すべ)て一変して、自分等とは永久(えいきゅう)に相(そう)触(ふ)れることが出来ないように感じられた。 で、毎日機械(きかい)のように同じ道を通(かよ)って、同じ大きい門を入って、輪転機関(りんてんきかん)の屋(いえ)を撼(うごか)す音と職工の臭(にお)い汗との交った細(ほそ)い間を通って、事務室の人々に軽(かる)く挨拶して、こつこつと長い狭(せま)い階梯(はしご)を登って、さてその室(へや)に入るのだが、東(ひがし)と南(みなみ)に明(あ)いたこの室は、午後の烈(はげ)しい日影(ひかげ)を受けて、実に堪(た)え難(がた)く暑い。それに小僧(こぞう)が無精(ぶしょう)で掃除(そうじ)をせぬので、卓の上には白い埃(ほこり)がざらざらと心地悪い。渠(かれ)は椅子に腰を掛けて、煙草(たばこ)を一服吸って、立上って、厚い統計書と地図と案内記と地理書とを本箱から出して、さて静かに昨日の続きの筆を執り始めた。けれど二三日来、頭脳(あたま)がむしゃくしゃしているので、筆が容易に進まない。一行書いては筆を留めてその事を思う。また一行書く、また留める、又書いてはまた留めるという風。そしてその間に頭脳に浮んで来る考は総て断片的で、猛烈で、急激で、絶望的の分子が多い。ふとどういう聯想(れんそう)か、ハウプトマンの「寂(さび)しき人々」を思い出した。こうならぬ前に、この戯曲をかの女の日課として教えて遣ろうかと思ったことがあった。ヨハンネス・フォケラートの心事と悲哀とを教えて遣りたかった。この戯曲を渠が読んだのは今から三年以前、まだかの女のこの世にあることをも夢にも知らなかった頃であったが、その頃から渠は淋(さび)しい人であった。敢てヨハンネスにその身を比そうとは為(し)なかったが、アンナのような女がもしあったなら、そういう悲劇(トラジディ)に陥るのは当然だとしみじみ同情した。今はそのヨハンネスにさえなれぬ身だと思って長嘆した。 さすがに「寂しき人々」をかの女に教えなかったが、ツルゲネーフの「ファースト」という短篇を教えたことがあった。洋燈(ランプ)の光明(あきら)かなる四畳半の書斎、かの女の若々しい心は色彩ある恋物語に憧(あこが)れ渡って、表情ある眼は更に深い深い意味を以(もっ)て輝きわたった。ハイカラな庇髪(ひさしがみ)、櫛(くし)、リボン、洋燈の光線がその半身を照して、一巻の書籍に顔を近く寄せると、言うに言われぬ香水のかおり、肉のかおり、女のかおり――書中の主人公が昔の恋人に「ファースト」を読んで聞かせる段を講釈する時には男の声も烈しく戦(ふる)えた。 「けれど、もう駄目だ!」 と、渠は再び頭髪(かみ)をむしった。 二 渠(かれ)は名を竹中時雄と謂(い)った。 今より三年前、三人目の子が細君の腹に出来て、新婚の快楽などはとうに覚(さ)め尽した頃であった。世の中の忙しい事業も意味がなく、一生作(ライフワーク)に力を尽す勇気もなく、日常の生活――朝起きて、出勤して、午後四時に帰って来て、同じように細君の顔を見て、飯を食って眠るという単調なる生活につくづく倦(あ)き果てて了(しま)った。家を引越歩いても面白くない、友人と語り合っても面白くない、外国小説を読み渉猟(あさ)っても満足が出来ぬ。いや、庭樹(にわき)の繁(しげ)り、雨の点滴(てんてき)、花の開落などいう自然の状態さえ、平凡なる生活をして更に平凡ならしめるような気がして、身を置くに処は無いほど淋しかった。道を歩いて常に見る若い美しい女、出来るならば新しい恋を為たいと痛切に思った。 三十四五、実際この頃には誰にでもある煩悶(はんもん)で、この年頃に賤(いや)しい女に戯るるものの多いのも、畢竟(ひっきょう)その淋しさを医(いや)す為めである。世間に妻を離縁するものもこの年頃に多い。 出勤する途上に、毎朝邂逅(であ)う美しい女教師があった。渠はその頃この女に逢(あ)うのをその日その日の唯一の楽みとして、その女に就いていろいろな空想を逞(たくましゅ)うした。恋が成立って、神楽坂(かぐらざか)あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう……。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう……。いや、それどころではない、その時、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。……平気で後妻に入れることが出来るだろうかどうかなどと考えて歩いた。 神戸の女学院の生徒で、生れは備中(びっちゅう)の新見町(にいみまち)で、渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充された一通の手紙を受取ったのはその頃であった。竹中古城と謂えば、美文的小説を書いて、多少世間に聞えておったので、地方から来る崇拝者渇仰者(かつごうしゃ)の手紙はこれまでにも随分多かった。やれ文章を直してくれの、弟子(でし)にしてくれのと一々取合ってはいられなかった。だからその女の手紙を受取っても、別に返事を出そうとまでその好奇心は募らなかった。けれど同じ人の熱心なる手紙を三通まで貰(もら)っては、さすがの時雄も注意をせずにはいられなかった。年は十九だそうだが、手紙の文句から推(お)して、その表情の巧みなのは驚くべきほどで、いかなることがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる願望(のぞみ)。文字は走り書のすらすらした字で、余程ハイカラの女らしい。返事を書いたのは、例の工場の二階の室で、その日は毎日の課業の地理を二枚書いて止(よ)して、長い数尺に余る手紙を芳子に送った。その手紙には女の身として文学に携わることの不心得、女は生理的に母たるの義務を尽さなければならぬ理由、処女にして文学者たるの危険などを縷々(るる)として説いて、幾らか罵倒(ばとう)的の文辞をも陳(なら)べて、これならもう愛想(あいそ)をつかして断念(あきら)めて了(しま)うであろうと時雄は思って微笑した。そして本箱の中から岡山県の地図を捜して、阿哲郡(あてつぐん)新見町の所在を研究した。山陽線から高梁川(たかはしがわ)の谷を遡(さかのぼ)って奥十数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があるかと思うと、それでも何となくなつかしく、時雄はその附近の地形やら山やら川やらを仔細(しさい)に見た。 で、これで返辞をよこすまいと思ったら、それどころか、四日目には更に厚い封書が届いて、紫インキで、青い罫(けい)の入った西洋紙に横に細字で三枚、どうか将来見捨てずに弟子にしてくれという意味が返す返すも書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然(しか)るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んでみたいとのことであった。時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ――女学校を卒業したものでさえ、文学の価値(ねうち)などは解らぬものなのに、何もかもよく知っているらしい手紙の文句、早速(さっそく)返事を出して師弟の関係を結んだ。 それから度々(たびたび)の手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖の無い、すらすらした、将来発達の見込は十分にあると時雄は思った。で一度は一度より段々互の気質が知れて、時雄はその手紙の来るのを待つようになった。ある時などは写真を送れと言って遣(や)ろうと思って、手紙の隅(すみ)に小さく書いて、そしてまたこれを黒々と塗って了った。女性には容色(きりょう)と謂(い)うものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才があっても男が相手に為ない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学を遣ろうというような女だから、不容色(ぶきりょう)に相違ないと思った。けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。 芳子が父母に許可(ゆるし)を得て、父に伴(つ)れられて、時雄の門を訪(おとの)うたのは翌年の二月で、丁度時雄の三番目の男の児の生れた七夜の日であった。座敷の隣の室は細君の産褥(さんじょく)で、細君は手伝に来ている姉から若い女門下生の美しい容色であることを聞いて少なからず懊悩(おうのう)した。姉もああいう若い美しい女を弟子にしてどうする気だろうと心配した。時雄は芳子と父とを並べて、縷々(るる)として文学者の境遇と目的とを語り、女の結婚問題に就いて予(あらかじ)め父親の説を叩(たた)いた。芳子の家は新見町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者(クリスチャン)、母は殊(こと)にすぐれた信者で、曽(かつ)ては同志社女学校に学んだこともあるという。総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となっている。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処(そこ)でハイカラな女学校生活を送った。基督(キリスト)教の女学校は他の女学校に比して、文学に対して総(すべ)て自由だ。その頃こそ「魔風恋風」や「金色夜叉(こんじきやしゃ)」などを読んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差支(さしつかえ)なかった。学校に附属した教会、其処で祈祷(きとう)の尊いこと、クリスマスの晩の面白いこと、理想を養うということの味をも知って、人間の卑(いや)しいことを隠して美しいことを標榜(ひょうぼう)するという群(むれ)の仲間となった。母の膝下(ひざもと)が恋しいとか、故郷(ふるさと)が懐(なつ)かしいとか言うことは、来た当座こそ切実に辛(つら)く感じもしたが、やがては全く忘れて、女学生の寄宿生活をこの上なく面白く思うようになった。旨味(おいし)い南瓜(かぼちゃ)を食べさせないと云っては、お鉢(はち)の飯に醤油(しょうゆ)を懸(か)けて賄方(まかないかた)を酷(いじ)めたり、舎監のひねくれた老婦の顔色を見て、陰陽(かげひなた)に物を言ったりする女学生の群の中に入っていては、家庭に養われた少女のように、単純に物を見ることがどうして出来よう。美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと――こういう傾向をいつとなしに受けて、芳子は明治の女学生の長所と短所とを遺憾なく備えていた。 尠(すくな)くとも時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。昔の恋人――今の細君。曽(かつ)ては恋人には相違なかったが、今は時勢が移り変った。四五年来の女子教育の勃興(ぼっこう)、女子大学の設立、庇髪(ひさしがみ)、海老茶袴(えびちゃばかま)、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。この世の中に、旧式の丸髷(まるまげ)、泥鴨(あひる)のような歩き振、温順と貞節とより他(ほか)に何物をも有せぬ細君に甘んじていることは時雄には何よりも情けなかった。路(みち)を行けば、美しい今様(いまよう)の細君を連れての睦(むつま)じい散歩、友を訪えば夫の席に出て流暢(りゅうちょう)に会話を賑(にぎや)かす若い細君、ましてその身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶(くもん)煩悶には全く風馬牛で、子供さえ満足に育てれば好いという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。「寂しき人々」のヨハンネスと共に、家妻というものの無意味を感ぜずにはいられなかった。これが――この孤独が芳子に由(よ)って破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生! 先生! と世にも豪(えら)い人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰がおられようか。 最初の一月ほどは時雄の家に仮寓(かぐう)していた。華(はな)やかな声、艶(あで)やかな姿、今までの孤独な淋しいかれの生活に、何等の対照! 産褥から出たばかりの細君を助けて、靴下を編む、襟巻(えりまき)を編む、着物を縫う、子供を遊ばせるという生々した態度、時雄は新婚当座に再び帰ったような気がして、家門近く来るとそそるように胸が動いた。門をあけると、玄関にはその美しい笑顔、色彩に富んだ姿、夜も今までは子供と共に細君がいぎたなく眠って了って、六畳の室に徒(いたずら)に明らかな洋燈(ランプ)も、却(かえ)って侘(わび)しさを増すの種であったが、今は如何(いか)に夜更(よふ)けて帰って来ても、洋燈の下には白い手が巧に編物の針を動かして、膝(ひざ)の上に色ある毛糸の丸い玉! 賑かな笑声が牛込の奥の小柴垣(こしばがき)の中に充ちた。 けれど一月ならずして時雄はこの愛すべき女弟子をその家に置く事の不可能なのを覚った。従順なる家妻は敢てその事に不服をも唱えず、それらしい様子も見せなかったが、しかもその気色(きしょく)は次第に悪くなった。限りなき笑声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚(しんせき)間などには現に一問題として講究されつつあることを知った。 時雄は種々(いろいろ)に煩悶した後、細君の姉の家――軍人の未亡人で恩給と裁縫とで暮している姉の家に寄寓させて、其処(そこ)から麹町(こうじまち)の某女塾(じょじゅく)に通学させることにした。 三 それから今回の事件まで一年半の年月が経過した。 その間二度芳子は故郷を省(せい)した。短篇小説を五種、長篇小説を一種、その他美文、新体詩を数十篇作った。某女塾では英語は優等の出来で、時雄の選択で、ツルゲネーフの全集を丸善から買った。初めは、暑中休暇に帰省、二度目は、神経衰弱で、時々癪(しゃく)のような痙攣(けいれん)を起すので、暫(しば)し故山の静かな処に帰って休養する方が好いという医師の勧めに従ったのである。 その寓していた家は麹町の土手三番町、甲武(こうぶ)の電車の通る土手際(どてぎわ)で、芳子の書斎はその家での客座敷、八畳の一間、前に往来の頻繁(ひんぱん)な道路があって、がやがやと往来の人やら子供やらで喧(やかま)しい。時雄の書斎にある西洋本箱を小さくしたような本箱が一閑張(いっかんばり)の机の傍にあって、その上には鏡と、紅皿(べにざら)と、白粉(おしろい)の罎(びん)と、今一つシュウソカリの入った大きな罎がある。これは神経過敏で、頭脳(あたま)が痛くって為方(しかた)が無い時に飲むのだという。本箱には紅葉(こうよう)全集、近松世話浄瑠璃(せわじょうるり)、英語の教科書、ことに新しく買ったツルゲネーフ全集が際立って目に附く。で、未来の閨秀(けいしゅう)作家は学校から帰って来ると、机に向って文を書くというよりは、寧(むし)ろ多く手紙を書くので、男の友達も随分多い。男文字の手紙も随分来る。中にも高等師範の学生に一人、早稲田(わせだ)大学の学生に一人、それが時々遊びに来たことがあったそうだ。 麹町土手三番町の一角には、女学生もそうハイカラなのが沢山居ない。それに、市ヶ谷見附の彼方(あちら)には時雄の妻君の里の家があるのだが、この附近は殊に昔風の商家の娘が多い。で、尠(すくな)くとも芳子の神戸仕込のハイカラはあたりの人の目を聳(そばだ)たしめた。時雄は姉の言葉として、妻から常に次のようなことを聞される。 「芳子さんにも困ったものですねと姉が今日も言っていましたよ、男の友達が来るのは好いけれど、夜など一緒に二七(不動)に出かけて、遅くまで帰って来ないことがあるんですって。そりゃ芳子さんはそんなことは無いのに決っているけれど、世間の口が喧(やかま)しくって為方(しかた)が無いと云っていました」 これを聞くと時雄は定(きま)って芳子の肩を持つので、「お前達のような旧式の人間には芳子の遣(や)ることなどは判(わか)りやせんよ。男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ、今では女も自覚しているから、為ようと思うことは勝手にするさ」 この議論を時雄はまた得意になって芳子にも説法した。「女子ももう自覚せんければいかん。昔の女のように依頼心を持っていては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うようにしなければいかん」こう言っては、イブセンのノラの話や、ツルゲネーフのエレネの話や、露西亜(ロシア)、独逸(ドイツ)あたりの婦人の意志と感情と共に富んでいることを話し、さて、「けれど自覚と云うのは、自省ということをも含んでおるですからな、無闇(むやみ)に意志や自我を振廻しては困るですよ。自分の遣ったことには自分が全責任を帯びる覚悟がなくては」 芳子にはこの時雄の教訓が何より意味があるように聞えて、渇仰の念が愈(いよいよ)加わった。基督(キリスト)教の教訓より自由でそして権威があるように考えられた。 芳子は女学生としては身装(みなり)が派手過ぎた。黄金(きん)の指環をはめて、流行を趁(お)った美しい帯をしめて、すっきりとした立姿は、路傍の人目を惹(ひ)くに十分であった。美しい顔と云うよりは表情のある顔、非常に美しい時もあれば何だか醜い時もあった。眼に光りがあってそれが非常によく働いた。四五年前までの女は感情を顕(あら)わすのに極(きわ)めて単純で、怒った容(かたち)とか笑った容とか、三種、四種位しかその感情を表わすことが出来なかったが、今では情を巧に顔に表わす女が多くなった。芳子もその一人であると時雄は常に思った。 芳子と時雄との関係は単に師弟の間柄としては余りに親密であった。この二人の様子を観察したある第三者の女の一人が妻に向って、「芳子さんが来てから時雄さんの様子はまるで変りましたよ。二人で話しているところを見ると、魂は二人ともあくがれ渡っているようで、それは本当に油断がなりませんよ」と言った。他(はた)から見れば、無論そう見えたに相違なかった。けれど二人は果してそう親密であったか、どうか。 若い女のうかれ勝な心、うかれるかと思えばすぐ沈む。些細(ささい)なことにも胸を動かし、つまらぬことにも心を痛める。恋でもない、恋でなくも無いというようなやさしい態度、時雄は絶えず思い惑った。道義の力、習俗の力、機会一度至ればこれを破るのは帛(きぬ)を裂くよりも容易だ。唯(ただ)、容易に来(きた)らぬはこれを破るに至る機会である。 この機会がこの一年の間に尠(すくな)くとも二度近寄ったと時雄は自分だけで思った。一度は芳子が厚い封書を寄せて、自分の不束(ふつつか)なこと、先生の高恩に報ゆることが出来ぬから自分は故郷に帰って農夫の妻になって田舎(いなか)に埋れて了(しま)おうということを涙交りに書いた時、一度は或る夜芳子が一人で留守番をしているところへゆくりなく時雄が行って訪問した時、この二度だ。初めの時は時雄はその手紙の意味を明かに了解した。その返事をいかに書くべきかに就いて一夜眠らずに懊悩(おうのう)した。穏かに眠れる妻の顔、それを幾度か窺(うかが)って自己の良心のいかに麻痺(まひ)せるかを自ら責めた。そしてあくる朝贈った手紙は、厳乎(げんこ)たる師としての態度であった。二度目はそれから二月ほど経(た)った春の夜、ゆくりなく時雄が訪問すると、芳子は白粉(おしろい)をつけて、美しい顔をして、火鉢(ひばち)の前にぽつねんとしていた。 「どうしたの」と訊(き)くと、 「お留守番ですの」 「姉は何処(どこ)へ行った?」 「四谷へ買物に」 と言って、じっと時雄の顔を見る。いかにも艶(なまめ)かしい。時雄はこの力ある一瞥(いちべつ)に意気地なく胸を躍(おど)らした。二語三語(ふたことみこと)、普通のことを語り合ったが、その平凡なる物語が更に平凡でないことを互に思い知ったらしかった。この時、今十五分も一緒に話し合ったならば、どうなったであろうか。女の表情の眼は輝き、言葉は艶(なま)めき、態度がいかにも尋常(よのつね)でなかった。 「今夜は大変綺麗(きれい)にしてますね?」 男は態(わざ)と軽く出た。 「え、先程、湯に入りましたのよ」 「大変に白粉が白いから」 「あらまア先生!」と言って、笑って体を斜(はす)に嬌態(きょうたい)を呈した。 時雄はすぐ帰った。まア好いでしょうと芳子はたって留めたが、どうしても帰ると言うので、名残(なごり)惜しげに月の夜を其処(そこ)まで送って来た。その白い顔には確かにある深い神秘が籠(こ)められてあった。 四月に入ってから、芳子は多病で蒼白(あおじろ)い顔をして神経過敏に陥っていた。シュウソカリを余程多量に服してもどうも眠られぬとて困っていた。絶えざる欲望と生殖の力とは年頃の女を誘うのに躊躇(ちゅうちょ)しない。芳子は多く薬に親しんでいた。 四月末に帰国、九月に上京、そして今回(こんど)の事件が起った。 今回の事件とは他(ほか)でも無い。芳子は恋人を得た。そして上京の途次、恋人と相携えて京都嵯峨(さが)に遊んだ。その遊んだ二日の日数が出発と着京との時日に符合せぬので、東京と備中との間に手紙の往復があって、詰問した結果は恋愛、神聖なる恋愛、二人は決して罪を犯してはおらぬが、将来は如何(いか)にしてもこの恋を遂げたいとの切なる願望(ねがい)。時雄は芳子の師として、この恋の証人として一面月下氷人(げっかひょうじん)の役目を余儀なくさせられたのであった。 芳子の恋人は同志社の学生、神戸教会の秀才、田中秀夫、年二十一。 芳子は師の前にその恋の神聖なるを神懸けて誓った。故郷の親達は、学生の身で、ひそかに男と嵯峨に遊んだのは、既にその精神の堕落であると云ったが、決してそんな汚(けが)れた行為はない。互に恋を自覚したのは、寧(むし)ろ京都で別れてからで、東京に帰って来てみると、男から熱烈なる手紙が来ていた。それで始めて将来の約束をしたような次第で、決して罪を犯したようなことは無いと女は涙を流して言った。時雄は胸に至大の犠牲を感じながらも、その二人の所謂(いわゆる)神聖なる恋の為めに力を尽すべく余儀なくされた。 時雄は悶(もだ)えざるを得なかった。わが愛するものを奪われたということは甚(はなは)だしくその心を暗くした。元より進んでその女弟子を自分の恋人にする考は無い。そういう明らかな定った考があれば前に既に二度までも近寄って来た機会を攫(つか)むに於(おい)て敢(あえ)て躊躇(ちゅうちょ)するところは無い筈(はず)だ。けれどその愛する女弟子、淋(さび)しい生活に美しい色彩を添え、限りなき力を添えてくれた芳子を、突然人の奪い去るに任すに忍びようか。機会を二度まで攫むことは躊躇したが、三度来る機会、四度来る機会を待って、新(あらた)なる運命と新なる生活を作りたいとはかれの心の底の底の微(かす)かなる願であった。時雄は悶えた、思い乱れた。妬(ねた)みと惜しみと悔恨(くやみ)との念が一緒になって旋風のように頭脳(あたま)の中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、益(ますます)炎を熾(さか)んにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳(ぜん)の上の酒は夥(おびただ)しく量を加えて、泥鴨(あひる)の如(ごと)く酔って寝た。 あくる日は日曜日の雨、裏の森にざんざん降って、時雄の為めには一倍に侘(わび)しい。欅(けやき)の古樹に降りかかる雨の脚(あし)、それが実に長く、限りない空から限りなく降っているとしか思われない。時雄は読書する勇気も無い、筆を執る勇気もない。もう秋で冷々(ひえびえ)と背中の冷たい籐椅子(とういす)に身を横(よこた)えつつ、雨の長い脚を見ながら、今回の事件からその身の半生のことを考えた。かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶(くもん)、その苦しい味をかれは常に味(あじわ)った。文学の側でもそうだ、社会の側でもそうだ。恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと、その身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。ツルゲネーフのいわゆる Superfluous man ! だと思って、その主人公の儚(はかな)い一生を胸に繰返した。 寂寥(さびしさ)に堪えず、午(ひる)から酒を飲むと言出した。細君の支度の為ようが遅いのでぶつぶつ言っていたが、膳に載(の)せられた肴(さかな)がまずいので、遂に癇癪(かんしゃく)を起して、自棄(やけ)に酒を飲んだ。一本、二本と徳利の数は重(かさな)って、時雄は時の間(ま)に泥の如く酔った。細君に対する不平ももう言わなくなった。徳利の酒が無くなると、只、酒、酒と言うばかりだ。そしてこれをぐいぐいと呷(あお)る。気の弱い下女はどうしたことかと呆(あき)れて見ておった。男の児の五歳になるのを始めは頻(しき)りに可愛がって抱いたり撫(な)でたり接吻(せっぷん)したりしていたが、どうしたはずみでか泣出したのに腹を立てて、ピシャピシャとその尻を乱打したので、三人の子供は怖(こわ)がって、遠巻にして、平生(ふだん)に似もやらぬ父親の赤く酔った顔を不思議そうに見ていた。一升近く飲んでそのまま其処に酔倒れて、お膳の筋斗(とんぼ)がえりを打つのにも頓着(とんちゃく)しなかったが、やがて不思議なだらだらした節で、十年も前にはやった幼稚な新体詩を歌い出した。 君が門辺(かどべ)をさまよふは 巷(ちまた)の塵(ちり)を吹き立つる 嵐(あらし)のみとやおぼすらん。 その嵐よりいやあれに その塵よりも乱れたる 恋のかばねを暁の 歌を半ばにして、細君の被(か)けた蒲団(ふとん)を着たまま、すっくと立上って、座敷の方へ小山の如く動いて行った。何処へ? 何処へいらっしゃるんです? と細君は気が気でなくその後を追って行ったが、それにも関(かま)わず、蒲団を着たまま、厠(かわや)の中に入ろうとした。細君は慌(あわ)てて、 「貴郎(あなた)、貴郎、酔っぱらってはいやですよ。そこは手水場(ちょうずば)ですよ」 突如(いきなり)蒲団を後から引いたので、蒲団は厠の入口で細君の手に残った。時雄はふらふらと危く小便をしていたが、それがすむと、突如(いきなり)と厠の中に横に寝てしまった。細君が汚(きたな)がって頻(しき)りに揺(ゆす)ったり何かしたが、時雄は動こうとも立とうとも為ない。そうかと云って眠ったのではなく、赤土のような顔に大きい鋭い目を明(あ)いて、戸外(おもて)に降り頻(しき)る雨をじっと見ていた。 四 時雄は例刻をてくてくと牛込矢来町の自宅に帰って来た。 渠(かれ)は三日間、その苦悶(くもん)と戦った。渠は性として惑溺(わくでき)することが出来ぬ或る一種の力を有(も)っている。この力の為めに支配されるのを常に口惜しく思っているのではあるが、それでもいつか負けて了(しま)う。征服されて了う。これが為め渠はいつも運命の圏外に立って苦しい味を嘗(な)めさせられるが、世間からは正しい人、信頼するに足る人と信じられている。三日間の苦しい煩悶(はんもん)、これでとにかく渠はその前途を見た。二人の間の関係は一段落を告げた。これからは、師としての責任を尽して、わが愛する女の幸福の為めを謀(はか)るばかりだ。これはつらい、けれどつらいのが人生(ライフ)だ! と思いながら帰って来た。 門をあけて入ると、細君が迎えに出た。残暑の日はまだ暑く、洋服の下襦袢(したじゅばん)がびっしょり汗にぬれている。それを糊(のり)のついた白地の単衣(ひとえ)に着替えて、茶の間の火鉢(ひばち)の前に坐ると、細君はふと思い附いたように、箪笥(たんす)の上の一封の手紙を取出し、 「芳子さんから」 と言って渡した。 急いで封を切った。巻紙の厚いのを見ても、その事件に関しての用事に相違ない。時雄は熱心に読下した。 言文一致で、すらすらとこの上ない達筆。 先生―― 実は御相談に上りたいと存じましたが、余り急でしたものでしたから、独断で実行致しました。 昨日四時に田中から電報が参りまして、六時に新橋の停車場に着くとのことですもの、私はどんなに驚きましたか知れません。 何事も無いのに出て来るような、そんな軽率な男でないと信じておりますだけに、一層甚(はなはだ)しく気を揉(も)みました。先生、許して下さい。私はその時刻に迎えに参りましたのです。逢(あ)って聞きますと、私の一伍一什(いちぶしじゅう)を書いた手紙を見て、非常に心配して、もしこの事があった為め万一郷里に伴(つ)れて帰られるようなことがあっては、自分が済まぬと言うので、学事をも捨てて出京して、先生にすっかりお打明申して、お詫(わび)も申上げ、お情にも縋(すが)って、万事円満に参るようにと、そういう目的で急に出て参ったとのことで御座います。それから、私は先生にお話し申した一伍一什、先生のお情深い言葉、将来までも私等二人の神聖な真面目(まじめ)な恋の証人とも保護者ともなって下さるということを話しましたところ、非常に先生の御情に感激しまして、感謝の涙に暮れました次第で御座います。 田中は私の余りに狼狽(ろうばい)した手紙に非常に驚いたとみえまして、十分覚悟をして、万一破壊の暁にはと言った風なことも決心して参りましたので御座います。万一の時にはあの時嵯峨(さが)に一緒に参った友人を証人にして、二人の間が決して汚(けが)れた関係の無いことを弁明し、別れて後互に感じた二人の恋愛をも打明けて、先生にお縋り申して郷里の父母の方へも逐一(ちくいち)言って頂こうと決心して参りましたそうです。けれどこの間の私の無謀で郷里の父母の感情を破っている矢先、どうしてそんなことを申して遣(つか)わされましょう。今は少時(しばらく)沈黙して、お互に希望を持って、専心勉学に志し、いつか折を見て――或(あるい)は五年、十年の後かも知れません――打明けて願う方が得策だと存じまして、そういうことに致しました。先生のお話をも一切話して聞かせました。で、用事が済んだ上は帰した方が好いのですけれど、非常に疲れている様子を見ましては、さすがに直ちに引返すようにとも申兼ねました。(私の弱いのを御許し下さいまし)勉学中、実際問題に触れてはならぬとの先生の御教訓は身にしみて守るつもり展开阅读全文
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